境界線と争い
January 25, 2014
昨日、二郎インスパイア系と言われているラーメン家に行った。
繁盛店なので5人ぐらい並んでいた。
食券を買うと普通盛りですか?大盛りですか?と聞かれる。
野菜を多めにしてほしかったので麺少なめで。と答える。
自分の次に並んでいる人も同じように
普通盛りですか?大盛りですか?と聞かれる。
麺固めで。と答えていた。
質問と答えが合っていなかった。
順番が来て、食券をカウンターへ置き、麺固めで。と告げる。
遅いので無理です。食券買われた時にお願いします。と告げられる。
麺の量を聞かれた時に、麺の固さを答えなければならないシステムだ。
よくよく考えてみるとこのお店では
店員「にんにくのせますか?」
客「全部で」
店員「にんにくのせますか?」
客「あぶらあぶらカラアゲ」
店員「にんにくのせますか?」
客「野菜にんにくまし、あぶら、カラアゲ別皿で」
など質問と答えが全くあっていなかった。
すごい内輪ノリだ。
二郎系はそういうものだけどよくよく見てみると面白かった。
この内輪ノリに入れない、馴染めない、心地良いなど
立ち位置次第で様々な感覚が生まれるんだと思う。
一種の仲間意識みたいなものなのかもしれない。
そもそも内輪ノリとはなんだ?
内輪ノリ。境界線を生むもの?
境界線。内側と外側を生むもの。
争いが起こる時、問題の根源は内輪ノリが原因ではないのか。
家族、団体、宗教、国家。
規模は違えど衝突が起こる時、そこに内側と外側が存在する。
仲間か、仲間ではないか。
境界線の内側と外側とは何が違うのか。
本当にそこに境界線は必要だったのか。
建設的な競争ではない争いは、
大抵どこかの内輪ノリから始まっているような気がする。
宗教と国家が一番わかりやすい。
境界線の内側と外側とは何が違うのか。
本当にそこに境界線は必要だったのか。
君が引いたその境界線の向こう側から
一体何が見える?
追伸
ラーメン家うまいのでまた行きたい